脳科学と電気による自動計算技術の融合に至った人工知能の夜明けとなる歴史を、ニューラルネットワークの基礎を作った科学者たちの貢献を通じてその年代と共に紹介し、建築計算におけるコンピューターについての身近な変化の年代と対比し、人工知能の夜明けとなる歴史との関連を概観します
AGIへの道のりと社会変化研究所
代表 花亀友鳥
脳科学の進歩と人工知能AIの夜明けが繋がる
脳科学の進歩からニューラルネットワーク
脳科学の進歩と人工知能の世界、それがニューラルネットワークです。
内部リンク
神経生理学者のウォーレン・マッカロック氏と論理学者のウォルター・ピッツ氏は、イリノイ大学とシカゴ大学で共同研究を行いました。彼らの目標は何でしょうか?それは、私たちの脳の働きを理解し、それを人工的に再現することでした。
そして、1943年、彼らは「神経活動に内在する観念の論理計算(A Logical Calculus of the Ideas Immanent in Nervous Activity)」という画期的な論文を発表しました。この論文は、私たちの脳の神経活動を論理的に理解し、それを人工的に再現する試みの基礎を築きました。
つまり、この論文が現代の人工知能、特にニューラルネットワークの基礎を作ったと言えます。これは、脳科学の進歩がどのようにして人工知能の発展に寄与したかを示す素晴らしい例です。
外部リンク
A Logical Calculus of the Ideas Inmanent in Nervous Activity |スプリンガーリンク (springer.com)
チューリングマシンの登場
「アラン・チューリング」という名前を聞いたことがありますか?彼はイギリス人で、私たちが今日「コンピューター」と呼ぶものの概念を初めて理論化した人物です。
彼の活躍は第二次世界大戦(1939年から1945年)中に最も顕著でした。当時、ドイツが使用していた暗号機「エニグマ」を解読するための機械を作り出しました。その結果、イギリスは敗北の危機から逃れ、勝利へと導かれました。
このエピソードは映画「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」(下の外部リンクを参照してください)で描かれています。映画の内容は、チューリング氏の極秘の研究がどのようにして戦争終結を2年以上早め、1400万人以上の命を救ったかをわかりやすく描いています。
彼の功績は50年以上もの間、政府の機密扱いされていましたが、2013年にはエリザベス女王によって称えられました。そして、彼の成果は「チューリングマシン」の研究へとつながり、その機械が今日の「コンピューター」の基礎となりました。」
人工知能AIの出現
1947年、アラン・チューリング氏はロンドン数学学会の講義で、今日私たちが「人工知能」と呼ぶ概念を初めて提唱しました。
そして、1950年に彼は「計算する機械と人間」という著書を出版しました。この本では、「機械は考えることができるか?」という大きな問いを投げかけています。そして、その答えを見つけるための方法として、「チューリングテスト」を提案しました。これは、機械が知性を持つと認定するためのテストです。
つまり、アラン・チューリング氏は、人工知能の基礎を築き、機械が思考することが可能かどうかを探求するための方法を提供しました。これは、現代の人工知能研究の重要な一歩となりました。
神経活動におけるヘブの学習則
「1949年、カナダの心理学者であるドナルド・ヘッブ氏が、「ヘブの学習則」という新しい考え方を提案しました。この考え方は、私たちの脳の中でどのように記憶が作られるかを説明しています。
ヘッブ氏は、「記憶」とは何かを次のように説明しました。「記憶とは、脳の中の特定の細胞、つまりニューロン同士がどのようにつながるか、そのつながり方がどのように変わるか、それが記憶です。ニューロンとニューロンがつながる部分をシナプスといいますが、シナプスで起こる長期的な変化が、情報の伝達効率を変え、それが学習の仕組みになります」と。
そして、1973年になると、ヘッブ氏のこの考え方が、実験を通じて確認され、脳での学習の一般的なメカニズムの一つとして認識されるようになりました。」
学習するニューロンを模倣して開発したSNARC
1951年、マーヴィン・ミンスキー氏とディーン・S・エドモンズ氏は、ヘブの学習則に基づいて、40個のニューロンをシミュレートするニューラルネットマシン、SNARC(Stochastic Neural Analog Reinforcement Computer)を開発しました。
このマシンは3000本の真空管を使って作られていました。そして、その目的は何でしょうか?それは、仮想迷宮から抜け出して食べ物にたどり着く方法を探すネズミの脳をシミュレートすることでした。
つまり、彼らはネズミの脳の動きを人工的に再現しようとしたのです。これは、人工知能の発展における重要な一歩となりました。
ダートマス会議
1956年、アメリカのニューハンプシャー州にあるダートマス大学で、特別な会議が開かれました。これがダートマス会議です。
この会議は、人工知能の研究が学問分野として確立したきっかけとなりました。科学者たちが集まり、新しいアイデアを共有し、ディスカッションを行いました。
この会議の発起人であり、コンピューター科学者のジョン・マッカーシー氏は、「人間のように考える機械」を「人工知能(Artificial Intelligence)」と名付けました。これが、私たちが今日「AI」と呼ぶものの始まりです。
会議で行われたデモンストレーションは、数学の原理をコンピューターで証明することでした。これは、人工知能がどのようにして複雑な問題を解決できるかを示す素晴らしい例でした。
そして、この会議がきっかけとなり、第一次AIブームが起きました。これは、人工知能の可能性が広く認識され、多くの研究者や企業がAIの開発に取り組むようになった時期です。
会議の提案書(抜粋)
- 学習のあらゆる観点や知能の他の機能を正確に説明することで機械がそれらをシミュレートできるようにするための基本的研究を進める
- 機械が言語を使うことができるようにする方法の探究
- 機械上での抽象化と概念の形成
- 今は人間にしか解けない問題を機械で解くこと
- 機械が自分自身を改善する方法
ダートマス会議を主催したジョン・マッカーシー氏は、その後、1958年にマサチューセッツ工科大学のコミュニケーション科学の助教授に就任しました。そして、彼は新しいプログラミング言語、「LISP」の開発を始めました。これは、関数型プログラミング言語と呼ばれるもので、コンピュータが問題を解決するための新しい方法を提供しました。
そして、1959年には、彼はダートマス会議の参加者であったマービン・ミンスキー氏と共に、マサチューセッツ工科大学のコンピューター科学・人工知能研究所の前身となる研究所を創設しました。
つまり、ジョン・マッカーシー氏は、人工知能の研究を推進し、新しいプログラミング言語を開発し、そして新しい研究所を創設することで、人工知能の発展に大きく貢献しました。これは、私たちが今日のAIの世界を理解するための重要な一歩となりました。
私の経歴 と コンピューターの関わり
1970年代に私は○○工業大学建築学科を卒業しました。そして公務員となり、一級建築士、建築基準適合判定士の資格を得ました。建築の設計,積算、構造計算、監理の業務を専門職として行い、定年退職しました。
学生時代の最初は計算尺を使用して計算しました。上位3桁だけで計算します
1964年には日本で電卓が初めて発売となっていましたが、私の職場では計算に手回しの機械式計算機を使って 乗算と割算をしていました。
外部リンク
タイガー手回し式計算機資料館より https://www.tiger-inc.co.jp/temawashi/temawashi.html
電卓(電子式卓上計算機)の歴史[ 東京理科大学生涯学習センター「コンピュータの歴史」講演資料 ]より http://www.dentaku-museum.com/1-exb/special/rikadai/rikadai.html#3
1972年には関数電卓、プログラム電卓が発売されましたが、高価なため実際に購入できるようになったのは、ずっと後です。
次に私が個人購入し、職場で使っていたプログラム電卓は SHARP EL5150です 80文字までの式を記憶でき 自作の関数を使って複雑な繰り返し計算に利用しました
そして、昭和61年(1986年)に私が個人購入し、職場で使っていました プログラム電卓 SHARP PC-1425です プログラム言語である BASIC が使用でき 自作の計算システムを作って分岐判断や繰り返し計算に便利なツールでした 印刷もできました
表側 裏側
外部リンク
ワードプロセッサーも使用しました シャープ「書院」
私は趣味でコンピューターに関する雑誌を買っていました いつかは買いたいと思っていたマイコンはこれです コンピューター用の機械語で入力するものです
昭和54年(1979年)NECより168,000円のパソコンが発売になりました 予約して3か月 初めて自宅にパソコンを設置しました ちょうど 雑誌に3次元迷路のゲームのN-BASICプログラムが載っていたので 試しに入力して、動作することを確認しました
外部リンク
Weblio辞書(https://www.weblio.jp/content/PC-8001)
これまでに、私はWindowsが搭載されたパソコンを何台も使ってきました。そして、日本建築学会の「鉄筋コンクリート造構造計算基準」などを基に、建築構造計算のためのミニプログラムを作り、それを活用してきました。
また、Microsoft Officeスペシャリストの資格も取得し、ExcelやAccessなどのソフトウェアを使いこなすことができます。さらに、MS-DOS、COBOL、BASIC、VBAなどを使って、自分でプログラムを組むこともできます。
パソコンのパーツ組み立ても得意です。ケースを買い、マザーボードを固定し、CPU、メモリ、電源、ハードディスク、ファンなどを組み立てることができます。これは、英語のマザーボード取扱説明書を翻訳し、理解しながら行いました。
そして、今日に至るまで、パソコンとオフィスソフトをフルに活用しつつ、建築の設計にはCAD、構造計算には国土交通省が認定したプログラム、建築積算には大型汎用コンピューターにCOBOLで積算システムを組んで使ったり、外注の独自開発積算システムをオフィスコンピューターで使ったりして、「官庁営繕 公共建築工事積算基準」に基づいた単価改訂業務や積算業務をこなしてきました。
しかし、私が気づかないうちに、人工知能AIは徐々に発展していました。これからは、使えるようになった生成AIを大いに活用し、今まで見落としていた認識をどんどん取り戻しつつ、人工知能の発展と世界の動きを見通せる研究を進めていきたいと思います。
まとめ
脳科学と電気を使った自動計算技術が進化し、結びついたことが、第一次AIブームを引き起こした一因だと思います。これは、人間の脳の働きを理解し、それを電気の力で自動化するという、新しいアイデアが生まれた結果です。
私自身が経験した建築計算技術の進化と比較すると、人工知能の始まりはもっと前からだったことがわかります。つまり、私たちが今日見ている技術の進歩は、長い時間をかけて積み重ねられた結果なのです。
そして、今日私たちが目の当たりにしている第三次AIブームに迫るためには、まだまだ歴史認識の研究を続ける必要があります。これは、過去の成功と失敗から学び、未来の可能性を探るための重要なステップです。